be going to の歴史
goという単語は「行く」という意味なのに、どうして未来を表す表現としてbe going toが使われるのでしょうか? 少し気になり英語の歴史を調べてみると、なんとbe going toが未来を表現するようになったのは1500年前と比較的最近のようです。確かにbe going toは、最初は文字通り「行く」の意味として次の文章が成立していました。
She is going to meet a boy.(彼女は男の子に会うために、出かけるところだ)
上記の例を発端として、 次のような文章の変遷を辿ってだんだんその意味が拡大解釈されていくようになります。
(1)She is going [to meet a boy].(彼女は男の子に会うために、出かけるところだ)
(2)She [is going to]meet a boy.(彼女は男の子に会うつもりだ)
(3)She [is going to]like a boy.(彼女は男の子を好きになるだろう)
(1)では[to meet a boy]を1つの塊として、目的を表す不定詞の用法(~するために)として用いられ、goはあくまで”移動”の意味を失っていません(⇒出かけるという意味合いを持ちます)。この文章のgoは本来の意味を表す動詞(本動詞と言います)として使われています。
(2)は[is going to]を1つの塊として捉え、meet自体に元々、会いに”行く”という動きの要素もある為、be going toの「行く」という意味はmeetに明け渡し、もはや、移動の意味が薄れ、何か”変わりつつある”記号のような意味合いに変化していきます。
(3)になってくると、be going toの後には、今度、like(好きな状態)という”動き”ではなく”状態”としての動詞を置けるようになり、文章全体に「行く」という動的要素は完全になくなってしまいました。その代わりis going toに別の意味、「近い将来を表す記号」を与えて活用、未来を表す表現手段として使うようになったと言われています。この be going toは、本来の動詞の意味(本動詞)ではなく、そのあとに続く動詞の意味を助けるという意味で「助動詞」として認識されております。
その他、例を示すと、I am going to come.を日本語訳する場合、自然なのは、「来るために行く」ではなく「来るつもりだ」ですね。
I am going to go to Japan tomorrow.(明日日本に行く予定です)という文章も、もはやbe going toのgoが「行く」という本動詞の意味ではなく、未来記号の1部としての存在に成り代わっているために、going とgoが連続し、口調が悪いですが、成立する文章となります。ただ連続する抵抗感から、I am going to Japan.と使う場合もあるようです。
考えてみれば、日本語の「行く」にも同じような使い方が見られ、「なんとかやっていく」「出来上がっていく」というそれぞれの「いく」という表現は、「移動」の意味ではなく、「将来にむかっていく記号」のような印象をもちますね。日本人も英語圏の人も無意識にそういった感覚は重なるものがあったのかもしれません
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